太宰治『駈込み訴え』のあらすじを簡単に解説していきますね。
『駈込み訴え』は太宰治が1940年に発表した短編小説で、新約聖書に登場するイスカリオテのユダの視点から、イエス・キリストへの複雑な愛憎の感情を描いた作品です。
太宰治が妻の美知子に口述筆記で語った内容をそのまま文章化したもので、まるで落語のような臨場感あふれる語り口が特徴的。
年間100冊以上の本を読む私が、読書感想文を書く予定の皆さんの力になれるよう、詳しいあらすじから登場人物の解説まで丁寧に紹介していきますよ。
太宰治『駈込み訴え』のあらすじを簡単に短く
太宰治『駈込み訴え』のあらすじを詳しく(ネタバレ)
物語は、イスカリオテのユダが大祭司カヤパを「旦那さま」と呼び、イエス・キリストを「ひどい」「厭な奴」「悪い人」と激しく罵倒する独白形式で始まる。ユダは「生かして置いてはなりません。世の中の仇です」と殺害を懇願するが、語りの中からはイエスへの深い愛情が矛盾するように滲み出ている。
ユダは自分がイエスと同い年(34歳)であるにも関わらず、師として振る舞うイエスに不満を抱いている。弟子たちの世話、経済的なやりくり、奇跡の手助けなど、陰で尽力してきたのに感謝されないことへの怒りを露わにする。しかし同時に、「あんな美しい人はこの世に無い」とイエスの美しさを純粋に愛していると告白する。
物語の転機となるのは、ベタニヤのシモンの家での出来事だった。マリヤという女性が高価な香油をイエスに注いだ際、ユダは「無駄なこと」と叱責するが、イエスはマリヤを擁護する。この時、ユダはイエスの「青白い頬が幾分、上気して赤くなっていた」のを見て、イエスがマリヤに恋愛感情を抱いたと確信してしまう。
この「醜態」に激しい嫉妬と失望を覚えたユダは、愛するイエスの美しさが失われる前に、「花は、しぼまぬうちこそ、花である」という思いから自らの手で殺してあげたいと決意する。祭司長たちが銀30枚でイエスの引き渡しを求めると、ユダはこれを「私の義務」「純粋の愛の行為」と称して裏切りを決意する。
しかし最後の晩餐で、イエスが弟子たちの足を一人ずつ洗う姿を目の当たりにすると、ユダの憎悪は一転する。「あなたは、いつでも優しかった。まさしく神の御子だ」と、イエスを神の子として認識し、裏切りを「無法なこと」と悔やむ言葉で物語は締めくくられる。
『駈込み訴え』のあらすじを理解するための用語解説
『駈込み訴え』を理解するために、物語に登場する重要な用語を解説しますね。
これらの用語を押さえておくことで、ユダの心理や物語の背景がより深く理解できますよ。
用語 | 説明 |
---|---|
イスカリオテのユダ | 新約聖書に登場するイエス・キリストの十二使徒の一人。 イエスを銀貨30枚で裏切ったとされる人物で、 物語の主人公であり語り手。 太宰治は従来の「裏切り者」像とは異なる 複雑な人間性を描いている。 |
大祭司カヤパ | 当時のユダヤ教の最高指導者で、 イエスの処刑を決定した人物。 物語中では直接登場せず、 ユダが「旦那さま」と呼んで語りかける相手。 ユダはカヤパにイエスの居場所を教えて殺すよう懇願する。 |
銀貨30枚 | 聖書においてユダがイエスを裏切った代償として 受け取ったとされる金額。 裏切りの象徴として非常に有名で、 物語中では単なる金銭ではなく、 ユダの複雑な感情を表す重要な象徴として描かれる。 |
最後の晩餐 | イエスが弟子たちと共にした最後の食事で、 その後イエスは捕縛される。 物語のクライマックスで、 イエスが弟子たちの足を洗う場面が描かれ、 ユダの心情が一変する重要な場面。 |
ベタニヤのシモンの家 | マリヤがイエスに香油を注いだ場所。 ユダがイエスのマリヤへの感情を誤解し、 嫉妬を抱く決定的な場面が繰り広げられる。 物語の転機となる重要な舞台。 |
『駈込み訴え』の感想
『駈込み訴え』を読んで、まず圧倒されたのはその語り口の迫力でしたね。
太宰治が口述筆記で語ったというだけあって、まるで目の前でユダが必死に訴えかけているような臨場感がすごかった!
読んでいて鳥肌が立つほど、ユダの感情の揺れ動きがリアルに伝わってきます。
特に印象的だったのは、ユダのイエスに対する愛憎の複雑さです。
最初は「あの人は酷い、厭な奴だ」と激しく罵倒しているのに、語りの節々から深い愛情が滲み出ているんですよね。
これって、恋愛関係でもよくある話で、愛が深すぎるがゆえに憎しみに転じてしまうという、人間の心理の奥深さを見事に表現していると思いました。
私が特に感動したのは、ユダが自分だけがイエスを「純粋に愛している」と主張する部分です。
他の弟子たちは天国での地位を求めるような利己的な愛だけど、自分は何の見返りも求めない本当の愛だと言い切る。
でも実際は、その「純粋な愛」こそが最も独占欲に満ちた愛なんですよね。
この矛盾した心理描写が、太宰治の筆力のすごさを物語っています。
マリヤがイエスに香油を注ぐ場面で、ユダがイエスの恋愛感情を確信してしまう展開も秀逸でした。
「青白い頬が幾分、上気して赤くなっていた」という些細な変化から、ユダが勝手に妄想を膨らませていく様子が、人間の嫉妬心のおそろしさを如実に表していて、読んでいて胸が苦しくなりました。
「花は、しぼまぬうちこそ、花である」という発想も、愛ゆえの倒錯した論理として非常に印象的です。
愛する人の美しさが失われる前に、自分の手で殺してあげたいという、常軌を逸した愛情表現ですが、なぜかユダの心理として納得できてしまう。
この説得力が太宰治の文章の魔力だと思います。
そして最後の晩餐でのどんでん返しが泣けました。
イエスが弟子たちの足を洗う姿を見て、ユダの憎悪が一転して純粋な愛と憐憫に変わる場面は、読んでいてグッときちゃって……。
「あなたは、まさしく神の御子だ」「無法なことを考えていた」という悔悟の言葉が、ユダの真の心情を表していて、胸に迫るものがありました。
ただ、理解できなかった点もあります。
結局、ユダは本当に裏切るつもりだったのか、それとも最初から裏切る気はなかったのか、その辺りが曖昧で混乱しました。
でも、この曖昧さこそが人間の心の複雑さを表現しているのかもしれませんね。
全体を通して、従来の聖書解釈とは全く異なる視点からユダという人物を描いた、太宰治の独創性に脱帽です。
短編なのに、これほど深い心理描写と哲学的な問いが込められているのは、さすが太宰治といったところでしょうか。
読書感想文を書く学生さんにとっても、人間の複雑さや愛憎の深さについて考える良い材料になる作品だと思います。
『駈込み訴え』の作品情報
『駈込み訴え』の基本的な作品情報をまとめましたので、読書感想文を書く際の参考にしてくださいね。
項目 | 内容 |
---|---|
作者 | 太宰治(だざい おさむ) |
出版年 | 1940年(昭和15年) |
出版社 | 河出書房(単行本『女の決闘』収録) |
受賞歴 | 特に受賞歴はなし |
ジャンル | 心理小説・宗教文学・短編小説 |
主な舞台 | 古代パレスチナ(エルサレム周辺) |
時代背景 | 紀元1世紀頃のイエス・キリストの時代 |
主なテーマ | 愛と憎しみ・裏切り・嫉妬・人間の複雑な心理 |
物語の特徴 | 独白形式・口述筆記・一人称視点 |
対象年齢 | 高校生以上(心理描写が複雑なため) |
青空文庫 | 収録済み(こちら) |
『駈込み訴え』の主要な登場人物とその簡単な説明
『駈込み訴え』の登場人物は非常に限られていますが、重要度の高い順に紹介していきますね。
物語の大部分がユダの独白で構成されているため、他の人物は彼の語りを通して描かれます。
人物名 | 紹介 |
---|---|
私(イスカリオテのユダ) | 物語の主人公であり語り手。 イエス・キリストの十二使徒の一人で 師への複雑な愛憎の感情を抱く。 両親も生まれた土地も捨ててイエスに従い続けてきたが、 嫉妬と絶望から裏切りを決意する。 |
あの人(イエス・キリスト) | ユダの師であり、キリスト教の救世主。 物語中では直接名前を出さず 「あの人」と呼ばれる。 純粋で美しく、弟子たちに優しい存在だが、 ユダには傲慢で薄情に映る。 |
旦那さま(大祭司カヤパ) | ユダが語りかける相手で、 当時のユダヤ教の最高指導者。 直接登場はしないが、 ユダがイエスの居場所を教えて殺すよう懇願する相手。 物語の聞き手として機能している。 |
マリヤ | ベタニヤのシモンの家でイエスに香油を注いだ女性。 ユダがイエスの恋愛感情を確信するきっかけとなった人物。 物語の転機を作る重要な役割を果たす。 |
他の弟子たち | イエスに従う十二使徒の仲間たち。 ユダの語りの中で言及される程度で直接の登場はない。 ユダは彼らの愛を利己的だと批判している。 |
『駈込み訴え』の読了時間の目安
『駈込み訴え』の読了時間について、具体的な数字とともに説明していきますね。
短編小説なので、比較的短時間で読み終えることができる作品です。
項目 | 詳細 |
---|---|
総文字数 | 約13,400文字 |
推定ページ数 | 約22ページ(1ページ600文字換算) |
読了時間 | 約27分(1分間500文字で計算) |
読了日数 | 1日で読了可能 |
読みやすさ | ★★★☆☆(心理描写が複雑だが短編) |
『駈込み訴え』は短編小説なので、集中して読めば1時間以内に読み終えることができます。
ただし、ユダの複雑な心理描写や哲学的な内容が含まれているため、じっくりと味わいながら読むことをおすすめします。
読書感想文を書く場合は、1回目はストーリーを追って読み、2回目は心理描写に注目して読むと理解が深まりますよ。
『駈込み訴え』はどんな人向けの小説か?
『駈込み訴え』は、心理描写の深さや宗教的テーマに関心がある人におすすめの作品です。
特に以下のような人にぴったりですね。
- 複雑な人間心理や愛憎劇に興味がある人
- 聖書やキリスト教文学に新たな視点を求める人
- 太宰治の独特な文体や短編小説の技巧を味わいたい人
この小説は、イエスを裏切ったユダの極めて複雑な内面を深く掘り下げているため、人間の心の闇や矛盾に興味がある人にとって非常に読み応えがあります。
また、聖書の物語をユダの視点で再構築しているので、既存の宗教観に疑問を持つ人や、新しい解釈を求める人にも刺激的な作品となるでしょう。
太宰治の研ぎ澄まされた文体と、限られた文字数に深遠なテーマを凝縮させる短編技巧も見どころの一つです。
逆に、エンターテイメント性を重視する人や、軽い読み物を求める人には少し重い内容かもしれませんね。
哲学的・倫理的な思考を楽しめる人におすすめの作品と言えるでしょう。
あの本が好きなら『駈込み訴え』も好きかも?似ている小説3選
『駈込み訴え』と内容が似ている小説を3つ紹介していきますね。
どの作品も複雑な人間心理や愛憎劇を描いている点で共通しており、太宰治の作品が好きな人にも気に入ってもらえると思います。
太宰治『斜陽』
『斜陽』は太宰治が1947年に発表した代表作の一つで、没落していく貴族階級の娘・かず子の視点から描かれた長編小説です。
戦後の社会変革期を舞台に、かず子が愛する人や社会に対する葛藤、そして自身の複雑な感情を独白のような形式で語ります。
『駈込み訴え』と似ている点は、主人公の内面的な葛藤が強く描かれ、愛憎入り混じった感情が赤裸々に表現されているところです。
どちらも既成概念や道徳観念に対する疑問を投げかけており、人間の心の奥深さを探求している作品ですね。

三島由紀夫『仮面の告白』
『仮面の告白』は三島由紀夫が1949年に発表した自伝的小説で、主人公の「私」が自身の性的倒錯や社会に対する違和感を告白する形で物語が進行します。
『駈込み訴え』がユダの「告白」を通して彼の真意を探るように、この作品も主人公の自己分析と内面的な真実の探求が主題となっています。
両作品とも、自身の「本性」や「真実」をひたすらに語り続ける独白形式が採用されており、隠された自己や偽りの自己が浮き彫りになる点で共通しています。
心理描写の深さと、社会との間に存在する深い溝を描いた作品として、非常に似ている要素を持っています。
ドストエフスキー『地下室の手記』
『地下室の手記』は19世紀ロシアの作家ドストエフスキーが1864年に発表した中編小説で、反社会的な思想を持つ「地下室の人間」の独白によって構成されています。
主人公は人間の理性や進歩に対する痛烈な批判を展開し、自己矛盾を抱える人間の姿を描いています。
『駈込み訴え』のユダがイエスへの愛憎を語るように、「地下室の人間」も自身の屈折した感情や哲学を滔々と語る点で共通しています。
社会や他者との間に存在する深い溝、そして自己の内面に閉じこもり苦悩する人間の姿が、どちらの作品でも見事に表現されています。
理性では割り切れない人間の感情の複雑さと自己欺瞞が重要なテーマとなっている点でも、非常に似ている作品と言えるでしょう。
振り返り
太宰治『駈込み訴え』は、聖書に登場するイスカリオテのユダの視点から、師であるイエス・キリストへの複雑な愛憎の感情を描いた傑作短編小説です。
太宰治が妻に口述筆記で語った内容をそのまま文章化したという経緯もあり、まるで目の前でユダが必死に訴えかけているような臨場感あふれる語り口が印象的でした。
ユダの「純粋な愛」という名の独占欲、マリヤへの嫉妬、そして最後の晩餐での心境の変化など、人間の心の複雑さを見事に描き出しています。
約13,400文字の短編でありながら、深い心理描写と哲学的な問いが込められており、読書感想文を書く学生さんにとっても考察の材料が豊富な作品です。
従来の聖書解釈とは全く異なる視点からユダという人物を再構築した太宰治の独創性と、人間の愛憎の深さに迫る筆力の高さを存分に味わえる名作として、多くの人におすすめしたい作品ですね。
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