『また、同じ夢を見ていた』、読み終わるとなんだかモヤモヤしませんでしたか。
私も最初に読んだときは「あれってどういう意味?」と頭の中がクエスチョンマークだらけでした。
住野よるさんのこの作品は、2016年に双葉社から出版された青春小説で、本屋大賞にもノミネートされた話題作です。
小学5年生の奈ノ花が、不思議な3人の女性と出会う物語なんですが、実はこの3人の正体が物語の核心なんですよね。
私は年間100冊以上の本を読む読書好きなんですが、この作品は特に「考察のしがいがある」と感じた一冊でした。
まず結論からお話しすると、以下のポイントが重要になります。
- 南さん、アバズレさん、おばあちゃんは全て奈ノ花の「未来の可能性」を表している
- 物語全体が奈ノ花の見ている「夢」の中で展開されている
- タイトルの「また、同じ夢を見ていた」は物語構造そのものを表している
読書感想文を書く予定の皆さんにとって、この記事は必ず参考になると思います。
『また、同じ夢を見ていた』の解説~9つの疑問点を私なりに考察してみた
『また、同じ夢を見ていた』を読み進めていくと、次々と謎めいた要素が登場しますよね。
特に物語に登場する3人の女性の正体や、作中で使われる象徴的な表現については、多くの読者が混乱してしまうポイントだと思います。
今回は以下の疑問点について、私なりの考察を交えながら詳しく解説していきます。
- 南さんの正体や名前の由来
- 「季節を売る仕事」の真意
- 「右目と左目で風景が違う」という表現
- おばあちゃんの本当の正体
- 黒猫の役割と意味
- 「薔薇の下で」の深い意味
- 桐生くんのサインに込められた思い
- 「先を見る力」が表すもの
- タイトルに隠された真意
これらの要素を一つ一つ紐解いていくことで、『また、同じ夢を見ていた』の本当の意味が見えてくるはずです。
南さんの正体や名前の由来は?
南さんの正体について考えるとき、まず注目すべきは彼女が持っていたハンカチですね。
このハンカチは、奈ノ花がお父さんに買ってもらったハンカチと全く同じ柄だったんです。
つまり南さんの正体は「両親と仲直りできないまま、事故で失ってしまった未来の奈ノ花」ということになります。
名前の由来については、奈ノ花が南さんの制服のスカートに刺繍された「南」という文字を見て、勝手にそう呼び始めたからです。
おそらく南さんは「南○○高校」のような学校名の高校に通っていたのでしょう。
南さんが奈ノ花に伝えたかったメッセージは明確でした。
「今から帰ったら、絶対に親と仲直りをしろ」「私みたいに喧嘩したままもう会えないなんてことになってほしくない」という言葉からも分かるように、彼女は自分と同じ後悔を奈ノ花にしてほしくなかったんですね。
「季節を売る仕事」とは?
アバズレさんが言った「季節を売る仕事」という表現、これは非常に巧妙な暗喩です。
「季節を売る」とは「春を売る」、つまり売春を意味している可能性が高いと考えられます。
アバズレさんの正体は「誰とも関わることなく、孤独に生きることになった未来の奈ノ花」です。
彼女は勉強ばかりに没頭し、周りの人間関係を軽視した結果、最終的に自分を粗末に扱うような生活に陥ってしまったのでしょう。
「私みたいに、なっちゃうよ」「その子みたいな人生を歩いちゃいけないんだ」という彼女の言葉からも、深い後悔と自己嫌悪が感じられます。
住野よるさんは、直接的な表現を避けながらも、読者に真意を伝える技巧を見せていますね。
「右目と左目で風景が違う」とは?
この表現は、物語のクライマックス部分で登場する重要な描写です。
だけどその時、もう既に私の口や声帯はそっちにはありません。声が出なくなり、やがて見えている風景が右目と左目で違っていることに気がついて
引用元:住野よる『また、同じ夢を見ていた』
という文章ですね。
これは奈ノ花が夢から現実に戻る瞬間の描写だと解釈できます。
夢の世界と現実の世界が混在している状態、つまり意識が曖昧になっている状況を表現しているのでしょう。
右目で見える風景(夢の世界)と左目で見える風景(現実の世界)が異なっている、という幻想的な表現によって、読者は「ああ、これまでの出来事は夢だったのか」と気づくことになります。
この瞬間に奈ノ花も「ああ、ここで終わりか」と悟るわけです。
おばあちゃんの正体は?
おばあちゃんの正体を考える上で重要な手がかりは、彼女が持っていた絵です。
その絵には「live me」というサインが書かれていました。
このサインこそが、おばあちゃんの正体を解く鍵なんです。
「live me」は桐生くんが描いた絵のサインで、彼の名前「きりゅう」が英語で「kill you(あなたを殺す)」に聞こえるため、その反対の意味として作られたものです。
つまりおばあちゃんは「桐生くんの本当の意味での味方になってあげることができず、友達関係のまま過ごしてしまった未来の奈ノ花」ということになります。
おばあちゃんは「私の人生は幸せだった」と言いながらも、どこか寂しそうな表情を見せていました。
それは桐生くんとの関係を深められなかった後悔があったからかもしれません。
猫の正体は?
尻尾のちぎれた黒猫は、物語全体を通じて重要な役割を果たしています。
この猫は奈ノ花を南さん、アバズレさん、おばあちゃんの元へと導く案内役として機能していました。
興味深いのは、この猫が夢の中にしか登場しないということです。
現実の学校や家では一度も姿を現していません。
また、アバズレさんがいなくなったとき、猫はアパートの階段を登ろうとしませんでした。
「知っていたのね、アバズレさんが、いないこと」という奈ノ花の言葉からも分かるように、猫は超自然的な存在として描かれています。
最後におばあちゃんと一緒に消えていくシーンでは「ありがとうと、さようならを合わせたみたいな」鳴き声を残しています。
現実で大人になった奈ノ花が飼っている「マーチ」という猫は長い尻尾を持っており、幼少期の「ちぎれた尻尾」との対比で成長と癒しを表現しているのでしょう。
「薔薇の下で」の意味
物語の最後に登場する「薔薇の下で」という表現は、実は深い意味を持っています。
「薔薇の下で」は英語の「Under the rose」を直訳したもので、「秘密に」「内緒で」という意味があります。
これは南さんから奈ノ花が教わった知識の一つでした。
「今でもまだ隣の席に座る彼と私が、このあとどうなったかは、薔薇の下で。」という最後の一文は、奈ノ花と桐生くんの関係の行方を「秘密」として読者に委ねているのです。
この表現によって、物語は美しい余韻を残しながら終わりを迎えます。
読者それぞれが想像できる余地を残すことで、より深い感動を生み出しているんですね。
住野よるさんの巧妙な文学的技法が光る部分だと思います。
桐生くんのサインの意味
桐生くんのサイン「live me」には、彼の優しさと配慮が込められています。
桐生くんの名前「きりゅう」を英語圏の人が聞くと「kill you(あなたを殺す)」に聞こえてしまう可能性があります。
そのため彼は外国人に怖がられないよう、自分の名前の意味を反対にしたサインを作ったのです。
「kill(殺す)」の反対は「live(生かす)」、「you(あなた)」の反対は「me(わたし)」。
つまり「live me」は「私を生かして」という意味になります。
このエピソードからも桐生くんの思いやりの深さが伝わってきますね。
また、将来絵描きになった桐生くんが海外で活動していることも、このサインの意味を裏付けています。
彼なりの国際的な配慮だったのでしょう。
「先を見る力」の意味
おばあちゃんが奈ノ花に対して言った「なっちゃんには先を見る力があるからね」という言葉も重要です。
この「先を見る力」とは、文字通り未来を見通す力のことを指しています。
この力があったからこそ、奈ノ花は未来の自分たち(南さん、アバズレさん、おばあちゃん)に会うことができたのです。
一方で「大人は子供と違って過去を見る生き物だから」という言葉もありました。
これは後悔を抱えた未来の自分たちが、過去の奈ノ花に会いに来た理由を説明しています。
子どもは未来に向かって歩いていくけれど、大人になると過去を振り返ることが多くなる。
だからこそ、後悔を抱えた未来の奈ノ花たちは、過去の自分に警告を送りに来たのでしょう。
この対比構造が物語の根幹を支えているんですね。
タイトルの意味
「また、同じ夢を見ていた」というタイトルには、複層的な意味が込められています。
まず物語構造として、奈ノ花が見ている「夢」の中での出来事であることを表しています。
そして時間軸として、未来の自分たちが過去に戻ってくる「繰り返し」の構造を示しているのです。
また、希望としての意味もあります。
同じ幸せな夢を何度でも見たいという願い、そして過去を変えることで未来を変えたいという思いが込められているのでしょう。
実はこのタイトルは、10-FEETの「蜃気楼」という楽曲の歌詞からインスパイアされたとも言われています。
音楽と文学の融合という面でも興味深い作品ですね。
大人になった奈ノ花が過去の夢を見続けているという解釈もできますし、読者それぞれが異なる解釈を持てるタイトルだと思います。
振り返り
『また、同じ夢を見ていた』について、様々な角度から考察してきました。
この作品の魅力は、表面的な物語の奥に隠された深い意味にあります。
- 南さん、アバズレさん、おばあちゃんは全て奈ノ花の「別の未来の可能性」を表している
- 物語全体が夢の中で展開され、現実との境界が曖昧に描かれている
- 象徴的な表現や隠喩が多用され、読者の想像力を刺激する構造になっている
- タイトル自体が物語の核心を表現している
住野よるさんの巧妙な文学的技法によって、一つの物語の中に複数の解釈の可能性が織り込まれているんですね。
読書感想文を書く際は、これらの要素を踏まえながら、自分なりの解釈を加えていくと良いでしょう。
きっと深みのある感想文が書けるはずですよ。
※『また、同じ夢を見ていた』の読書感想文を書く際に参考になる記事の一覧



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