『オツベルと象』を読んだけど、よくわからなかった人も多いんじゃないでしょうか。
私も中学生の頃に初めて読んだときは、なんだかモヤモヤした気持ちになった記憶があります。
『オツベルと象』は宮沢賢治が1926年に発表した短編童話で、強欲な地主オツベルが白い象を騙して酷使し、最後は象たちの復讐で潰されてしまうという物語。
作者の宮沢賢治は岩手県出身の詩人・童話作家で、『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などの名作を数多く残しています。
私は読書が趣味で年間100冊以上の本を読む読書家なんですが、宮沢賢治の作品は何度読み返しても新しい発見があるんですよね。
特に『オツベルと象』は一見シンプルな話に見えて、実は深い意味が込められているんです。
この記事で解説する点は以下の通りです。
- 最後の一文「おや、川へはいっちゃいけないったら」の本当の意味
- 物語に出てくる疑問点(「寂しく笑った」「一字不明」「サンタマリア」など)の解釈
- 宮沢賢治がこの作品で伝えたかった深いメッセージ
読み終わった後は、きっと『オツベルと象』の見方が変わるはずですよ。
それでは、一緒に物語の謎を解き明かしていきましょう。
『オツベルと象』の怖い最後の一文(おや、川へはいっちゃいけないったら)の意味を解説
『オツベルと象』を読んだ人が一番戸惑うのは、きっと最後の一文でしょう。
「おや、川へはいっちゃいけないったら」という言葉が、なぜか不気味で怖いと感じる人が多いんです。
実は、この一文には複数の解釈があって、それぞれに深い意味が込められています。
この最後の一文を理解するには、物語の構造と語り手の存在を知ることが重要なんです。
主な解釈のポイントを以下にまとめました。
- 語り手である牛飼いが、物語を聞いている子どもに向けて発した言葉
- 「一字不明」の部分には「君」などの呼びかけの言葉が入ると推測される
- 川は危険な境界線や「流される」ことの象徴として使われている
- 物語の教訓を現実の聞き手に伝える効果的な文学技法
では、それぞれの解釈について詳しく見ていきましょう。
物語の語り手による現実への呼びかけ
『オツベルと象』は「ある牛飼い」が物語の語り手として話を進める構造になっています。
つまり、読者は牛飼いから聞いた話として物語を読んでいるわけです。
最後の一文は、物語が終わった後に語り手の牛飼いが、話を聞いていた子ども(聞き手)に向けて投げかけた言葉だと解釈されているんですね。
おそらく牛飼いは川辺で子どもたちに物語を聞かせていて、話が終わると子どもの一人が川へ入ろうとしたのでしょう。
「一字不明」の謎と推測される内容
該当の箇所は正確には
おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
■引用:宮沢賢治 オツベルと象
と表記されています。
この「一字不明」の部分について、多くの研究者が「君」という文字が入るのではないかと推測しているんです。
項目 | 内容 |
---|---|
原文の表記 | 「おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら」 |
推測される文字 | 「君」 |
完全な文章 | 「おや、君、川へはいっちゃいけないったら」 |
発話者 | 物語の語り手(牛飼い) |
対象 | 物語を聞いている子ども |
原稿に黒い四角や黒点があったため、活字化の際に判読できなかったというのが真相のようです。
川が象徴する危険性と教訓
なぜ「川」なのかという点にも、深い意味が込められています。
川は「流される」「溺れる」という危険性を象徴しているんです。
これは物語の教訓と密接に関係していて、オツベルのように欲に溺れたり、他人の言いなりになって流されたりすることへの警告として機能しています。
また、宮沢賢治の他の作品でも川は死や別れと関連付けられることが多く、危険な境界線を表す象徴として使われているんですね。
『オツベルと象』の4つの疑問点をスッキリ解決
『オツベルと象』を読んでいると、いくつかの疑問点が出てきますよね。
特に多くの読者が首をかしげるのが、物語の細かな描写や表現についてです。
これらの疑問点を一つずつ解決していくことで、物語の理解がぐっと深まります。
今回は特に質問の多い以下の4つのポイントについて詳しく解説していきます。
- 白象が「寂しく笑った」理由
- 「一字不明」が生まれた経緯
- 「サンタマリア」という言葉の意味
- オツベルの性格と役割
これらの疑問を解決すれば、『オツベルと象』の読み方が変わるはずですよ。
「寂しく笑った」の意味
白象が仲間に助けられた後、なぜ「寂しく笑った」のでしょうか。
普通に考えれば、苦しい状況から解放されて喜ぶはずなのに、なぜ「寂しい」という感情なのか不思議ですよね。
実は、この「寂しく笑った」には白象の複雑な心情が込められているんです。
研究者の間では、いくつかの解釈が提案されています。
まず、白象が自分の愚かさを後悔している可能性があります。
オツベルに騙されて酷使されたのは、結果的に自分の判断ミスでもあったわけです。
また、オツベルを改心させられなかった悲しみという解釈もあります。
白象は本来優しい性格で、オツベルが最後まで変わらなかったことに対する複雑な感情を抱いているのかもしれません。
さらに、楽しかった仕事場を失った寂しさや、助けてくれた仲間への申し訳なさも含まれていると考えられています。
一字不明はなぜ?
「一字不明」の謎について、もう少し詳しく説明しましょう。
この現象が起きた理由は、原稿の物理的な問題にあります。
『オツベルと象』が最初に掲載された雑誌『月曜』では、該当箇所に黒い四角(ゲタ)や小さな黒点(・)が記されていました。
これは、原稿の文字が判読できなかったか、印刷上の問題があったためです。
さらに厄介なことに、宮沢賢治の原稿は現存していないため、本来何が書かれていたのかを確認する手段がないんです。
旧全集では編集者が「君」という文字を補って「おや、君、川へはいっちゃいけないったら」としていましたが、確実な根拠はありません。
現在の校本全集では、推測で文字を補うことを避けて「〔一字不明〕」と表記しているわけですね。
サンタマリアとは?
白象が苦しみの中で「サンタマリア」と呼びかける場面があります。
これは一体何を意味しているのでしょうか。
「サンタマリア」はスペイン語で「聖母マリア」を意味し、祈りや救済を求める言葉として使われています。
白象が絶望的な状況で「サンタマリア」と叫ぶのは、「ああ神様」「助けて」という意味での祈りの表現なんです。
宮沢賢治の作品には仏教的な要素が多く含まれていますが、ここでは異文化的な祈りの言葉として唐突に登場するのが特徴的です。
これは、苦しみの中で人間(この場合は象)が宗教や文化を超えて救いを求める普遍的な心情を表現していると解釈できます。
オツベルの性格は?
オツベルという人物の性格について、詳しく分析してみましょう。
物語の中でオツベルは明確に悪役として描かれていますが、その性格には複数の側面があります。
第一に、オツベルは極めて強欲で冷酷な性格です。
白象を騙して自分の所有物にし、過酷な労働を強いることに何のためらいもありません。
第二に、非常にずる賢い面があります。
白象を言葉巧みに騙す場面では、相手の心理を読んで巧妙に操る能力を発揮しています。
第三に、権力者としての傲慢さを持っています。
地主として百姓たちを支配し、自分の地位を利用して他者を従わせようとする典型的な強者の論理を体現しているんです。
『オツベルと象』で宮沢賢治が伝えたいことを考察
『オツベルと象』は単なる童話ではなく、宮沢賢治の社会に対する深い洞察と批判が込められた作品です。
作品の表面的なストーリーの裏には、当時の社会情勢や人間の本質に対する鋭い観察があります。
宮沢賢治がこの作品で伝えたかった核心的なメッセージは、強者による弱者の搾取への批判と、弱者同士の連帯の重要性だと考えられます。
しかし、それだけでは終わらない複層的な意味が込められているんです。
主要なテーマを以下にまとめました。
- 資本主義社会における搾取構造への批判
- 弱者の連帯と助け合いの重要性
- 声を上げることの大切さ
- 利己主義と他者への思いやりの対比
- 自然との共生の必要性
これらのテーマがどのように物語に織り込まれているのか、詳しく見ていきましょう。
資本主義社会における搾取構造への批判
『オツベルと象』の中心的なテーマは、明らかに強者による弱者の搾取に対する批判です。
オツベルは典型的な資本家の象徴として描かれています。
彼は自分の利益のためなら手段を選ばず、白象を言葉巧みに騙して過酷な労働を強います。
この構造は、当時の日本社会における地主と農民、資本家と労働者の関係を反映しているんです。
白象が徐々に弱っていく過程は、労働者が資本家に搾取される現実をリアルに描いています。
しかし、宮沢賢治は単純な階級闘争を描いているわけではありません。
オツベルの最後の破滅は、不当な搾取がいずれ報いを受けるという因果応報の法則を示しているんです。
弱者の連帯と助け合いの重要性
物語の転換点となるのは、白象の仲間たちが救出に現れる場面です。
白象一頭では到底オツベルに対抗できませんでしたが、仲間が団結することで強者を倒すことができました。
これは、弱い立場の者でも連帯すれば強者に立ち向かえるという希望的なメッセージを含んでいます。
白象が月の助言を受けて手紙を書き、それを読んだ仲間たちが一致団結して行動する過程は、まさに弱者の連帯の力を象徴しています。
ただし、この連帯が暴力的な復讐という形で表現されている点も見逃せません。
宮沢賢治は単純な勧善懲悪を描いているのではなく、現実の複雑さも同時に表現しているんです。
声を上げることの大切さ
物語には、オツベルのもとで働く農民たちも登場します。
彼らは白象と同じように搾取されているにも関わらず、自ら声を上げて抵抗することはありません。
この対比は非常に重要で、宮沢賢治が「沈黙していてはいけない」というメッセージを伝えていると解釈できます。
白象は苦しい状況でも仲間に助けを求める手紙を書きました。
しかし、人間の農民たちは最後まで受け身のままで、象の群れが来ると真っ先に逃げ出してしまいます。
この違いは、読者に「自分だったらどう行動するか」という問いを投げかけているんです。
搾取される側が声を上げなければ、状況は変わらないということを示唆しています。
利己主義と他者への思いやりの対比
『オツベルと象』では、利己的な行動と他者への思いやりが鮮明に対比されています。
オツベルの行動は完全に自己中心的で、他者の苦しみを顧みることがありません。
一方、象たちの行動には深い思いやりと共感の精神が表れています。
この対比を通じて、宮沢賢治は「本当に大切なのは他者を思いやる心である」と訴えているんです。
しかし、白象が救出された後に「寂しく笑った」という描写は、単純な勧善懲悪では終わらない複雑さを示しています。
白象の「寂しさ」には、オツベルに対する憎しみよりも、むしろ哀れみや悲しみが含まれているように感じられます。
自然との共生の必要性
宮沢賢治の作品全体に共通するテーマとして、自然への畏敬と共生の重要性があります。
『オツベルと象』においても、巨大で力強い象は自然の象徴として描かれています。
オツベルが象を支配しようとする行為は、人間が自然を思うがままに利用しようとする傲慢さを表現しているんです。
最終的に象の群れがオツベルを倒す展開は、自然の力を軽視することの危険性を警告しているとも解釈できます。
振り返り
『オツベルと象』について、様々な角度から解説してきました。
一見シンプルな童話に見えるこの作品に、これほど深い意味が込められていることに驚いた人も多いでしょう。
宮沢賢治の文学的技法の巧みさと、社会に対する鋭い洞察力がよくわかります。
この記事で解説した要点をまとめると以下の通りです。
- 最後の一文「おや、川へはいっちゃいけないったら」は語り手が聞き手に向けた現実の呼びかけ
- 「寂しく笑った」「一字不明」「サンタマリア」などの疑問点には深い意味がある
- 宮沢賢治は強者による搾取への批判と弱者の連帯の重要性を伝えたかった
- 利己主義と他者への思いやりの対比が物語の核心テーマ
- 自然との共生の必要性も重要なメッセージとして込められている
『オツベルと象』は読むたびに新しい発見がある、非常に奥深い作品です。
教科書で読んだときは理解できなかった部分も、大人になってから読み返すとまた違った印象を受けるはずです。
宮沢賢治の他の作品も同様に、表面的なストーリーの裏に深い哲学や社会批判が込められています。
この機会に、『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』なども読み返してみてはいかがでしょうか。
きっと新しい発見があるはずですよ。
※『オツベルと象』で読書感想文を書く予定の方はこちらのあらすじが参考になりますよ。

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